経験の浅い板前だけで運営される鮨屋について思うこと

最近、あえて若手の板前だけで運営されている鮨店が増えてきたように感じます。
厳しい修行と上下関係の中でしか一人前と認められなかった我々の業界において、若い職人たちが早い段階から現場に立ち、実践の中で成長していくというスタイルは、ある意味でとても良い傾向だと思います。

若い世代にチャンスを与え、閉鎖的だったこの業界に風通しの良さが生まれてきたことで、鮨職人を目指す若者が増えることを大いに期待しています。

しかし、実際にそういったお店に足を運んでみると、正直「さすがにまだお客様の前に立つには早すぎるのでは?」と感じてしまうような場面にも、けっこうな頻度で出会います。

忙しくなると慌てだす、提供先を間違える、お鮨が全然出てこない、握りが雑になる、間違えてもこちらの目を見てきちんと謝れない…。

どれも「そうならないために一生懸命修行しなさい」と私が若手に話す部分です。

「ネタがいい」「価格が安い」といった理由を前提に、「だから技術が未熟でもいいでしょ」と言われているようであり、その思考にはどうしても違和感を覚えるし、時に暗澹たる気持ちになります。

鮨の価値はただ「その商品」だけにあるのではなく、それを作るまでの包丁や握りのリズム感、忙しくても乱れない整然とした手元など、積み重ねた仕事量からくる所作の美しさを見ながら食べていただくことも大きな価値でもあるのです。

「一生懸命やっているのだから、多少下手でも温かい目で見てほしい」という主張はわかります。最近のお客様は皆さん優しいのであまり文句も言われないので、そこに甘んじているのかもしれません。

しかし、それを前提に商売をしようとするのは、少々傲慢ではないでしょうか。お金をいただき、店として営業している以上、一定のクオリティ(鮨だけでなく)は絶対条件だと私は思います。

完璧に仕上がるまでカウンターに立つなと言っているのではありません。「合格ラインが低すぎねーか」って言いたいのです。

通常の鮨屋でこんな事態だったら「今日は申し訳ありませんでした、お代は結構ですので…」ってなることを初めから「うちはそうです」って宣言してる店ってなんなんだってことです。

ただし、働いている諸君に責任はないですね。責任はやらせてる会社にあり、失敗しながら成長していくのもまた職人の道です。経験不足を自覚してるならなおさら、与えてもらった舞台で絶対に結果を出す!というガッツをもって頑張ってもらいたいものです。