私は100年以上続くすし店の4代目として生まれました。
跡継ぎを自覚させられるような教育をされた覚えはないのだけど
「この世に生まれた責任」のようなモノは何かにつけて考えてきました。
責任の私なりの答えは簡単です。
「立派な大人になり、それを子供に伝えてから死ぬ」と言うことです。
それが私が考える「生まれてきた者の責任」です。
鮨屋とはあまり関係がないようですが、自分のなかではこの二つは微妙に重なるものを持っていた気がしています。
「立派な大人」
私が関わっていた会社に33歳のT君という青年がいました。
明るくのんびりした性格で誰からも好かれる好青年ですが
少々ルーズな面があり、出社はいつもギリギリ。
彼の部屋は会社から徒歩10分。
ですが彼は月に何度か遅刻し、仕事の納期を守らなかったりすることも何度もありました。
その彼が最近、結婚を前提に彼女と同棲をはじめました。
私は「結婚」という前提と「彼のルーズさ」の存在が少々気になっています。
それとなく聞くと、彼女は毎日朝食を準備してくれるが
「通常は食べない」とのこと。
「朝食を毎朝準備してくれる彼女」と
「作ってくれていると分かっているのに遅刻ギリギリまで寝ている彼」
そして現実に、度々繰り返される遅刻。
ちょっと気になりもう一度聞き直します。
すると
「はい、朝食は毎日作ってくれます。自分の分を作るんで、ついでに作ってくれるんです。僕は食べないです。でもラップしておいて夜食べることもありますから」
と屈託がない。
私は彼の笑顔に少し暗澹たる思いでいました。
まるで子供じゃないか。
彼には大人としての「べき論」がなにもない。
- 遅刻は欠勤より悪、という常識を知っているべき。
朝は早く起きて新聞なりニュースから情報を得るべき(飲食業なら天気予報だって大切) - 疲れていようが寝不足だろうが、作ってくれた朝食を機嫌よく食べるのが当たり前だと知っているべき。
- だから少々眠くても元気に「おはよう」という、やせ我慢してみせるべき。
彼の中には「立派な大人」どころか子供のような甘えしか見えません。
- 社会人として
- 家庭を守る男として
- 父親として
- 夫として
立派な大人であろうとする精神性が何も見えない。
私がいう「立派な」とは多くの人にとって「当たり前の」と変換可能です。
T彼にはその「当たり前とは」という問いさえないようです。
彼には
「まず彼女と朝ご飯を一緒に食べなさい」と伝えました。
子どものような大人。
最近気がかりなことのひとつです。