と、大仰なタイトルにしましたが実際は”ホンモノ”の迫力に圧倒されて言葉を失っただけでした。
水曜日はお休みだったのでなんとなく「器を見に行きたいなぁ」と思い
あの作家さんの個展は終わっちゃったし、こちらの窯の展示会は遠くて行けないしと何となく悶々。
あ、と気づいて家内と上野の国立博物館へ。
なので埴輪や銅鐸、鏡の類にはあまり興味はなく眺めながらもスルー。
やっぱり器たちに目がとまり、じっくり鑑賞し、睨みつけ、ため息を吐くのでした。
現代にも受け継がれている黄瀬戸や伊万里、美濃焼きの器。
1000年以上前にすでにこんな器が作られ、使われ、愛でられていたわけです。
画像ツールも化学機器も温度計すらない時代。
土をこねる水でさえ水道など無かった時代。
土と自然界の釉薬と、手の感覚だけで伝承され続けた作陶の技術。
古の器たちを見ながら、「一体人は進化したのか退化したのかどっちなんだろう」と考えてしまいます。
心に響いたのはこの6点のみであろうわけがなく、撮影不可の物や、またぜひ撮っておきたかったのに見とれてしまい忘れたものも沢山あります。
まぁこうして写真を見ても、現物を前にしたときの感動はあまりなく、やはり実際に足を運んで目の前で見てみるものなのでしょう。
国立博物館には器の他にも膨大なコレクションがあります。
日本刀と鎧のコーナーでは一種異様な緊張を感じました。
写真は備前長船。
こんなもので切り合っていた私たちのご先祖の精神世界ってなんなんだ(汗
隻眼の不動明王様には己の汚れた心根を見透かされて立ちすくみ…。
「もっと精進せよ」と諭されて思わず頭を垂れたのでした。
たまには国宝や重要文化財を前に
真面目に自分の小ささを自覚する、そんなことも必要ですね。
一通り見終えて外に出たときは家内と二人で思わず
「ふぁはー」
と大きくため息。
お陰様ですっかり心の洗濯をさせていただき
いい休日となりました。
ありがとうございました。