亀井鮨

鮨武のルーツ、始まりは明治20年

「いきなりなんのホラ吹いてんだ?」

と思ったあなた、まぁそう焦らずにお願いします。

私、鮨武のあるじ、毛利武司。

生まれは新宿区四谷でございます。

家業は鮨屋でした。

ていうか今でも鮨屋ですけど。

店の名前を「亀井鮨 かめいずし」といいます。

この亀井鮨、『うぉ!?』っていうくらい歴史のある店だったんです。

亀井鮨のはじまり

時は幕末。

後に亀井鮨の創業者となる亀井伊勢松(いせまつ)は

文久2年(1863年)12月24日

神奈川県伊勢原の刀鍛冶「亀井源蔵定兼(かめいげんぞうさだかね)」のもとに

三男として生まれました。

当時の伊勢原(旧大住郡)は高利貸の悪行に激怒した農民の一揆が起きるなど

社会情勢は決して安泰とは言えない状況でした。

伊勢松の生家は、「亀井」姓を名乗っていることからも分かるように

名字帯刀を許された、比較的裕福な家柄でした。

放蕩ぶりに業を煮やし亀井家を勘当

この伊勢松、結構な放蕩息子(今でいうボンボンの遊び人)だったらしく

父の定兼がいくら諭しても生活を改めない。

ある日、業を煮やした定兼が朝帰りの伊勢松を家に入れず、その場で勘当を言い渡したのだそうです。

気性の激しい父が座布団の下に短刀を忍ばせているのに気付いた伊勢松は

この時はじめて事態の深刻さに気付いたのかもしれません。

動揺する伊勢松に

お手伝いの女性が

「坊ちゃんこれを持ってお逃げなさい。もう戻ってはいけませんよ。」

といくばくかのお金をそっと手渡したと伝えられています。


その後の詳しい経緯は分かりませんが

おそらく着の身着のままに江戸に向けて旅立ったのでしょう

ほどなく、築地の「美すじ」という大店の鮨屋に

住み込みで働かせてもらうようになりました。

その後、伊勢松はこの店で毛利家の娘「せい」と出会います。

やがて二人は恋におち、たのかどうかは分かりませんが

戸籍によると、毛利家に婿養子に入ることになったのです。

念願の鮨屋開店。屋号を亀井鮨に。

毛利家の婿養子になった伊勢松はなおも努力を続け

念願の自分の店(と言っても屋台でしたが)を持つことになります。

店の名前を、失ってしまった「亀井」とすることに決め

ここに「亀井鮨」が誕生したのでした。

時に明治20年(1887年)3月20日、伊勢松24歳の春でした。

伊勢松の亀井鮨は着実に繁盛していった

文明開化とともに歩みを始めた亀井鮨は

時代の後押しと伊勢松の頑張りで少しずつ繁盛店に成長してゆきます。

遊びが過ぎて家を追い出され、名字さえも失った若者が

心を改め、一念発起して繁盛店の主となっていく。

ちょっといいじゃぁございませんかね。

「ドブに落ちても根のるやつはいつか蓮の花と咲く」

とは「男はつらいよ」の主題歌にあります。

アタシがこの歌を好きなのは、この身体に伊勢松の血が流れてるからなのかもしれません。

やっと手に入れた自分の屋台で懸命に働いた伊勢松

当時は住まいの四谷から青山1丁目まで屋台を引いての商売でした。

父、伊勢松らの頑張りを息子の定司(=二代目、私の祖父)が作文に残しています。

朝起きたら店の者は誰もいない。夜寝るときになっても帰ってこない。皆は一体いつ寝るのだらうと思っておりました。夜布団で寝ていて「ガタゴト」と屋台が帰ってくる音が聞こえると「ああ、帰って来たな」と安心して寝たものでした。

亀井鮨2代目定司の子供のころの作文より

下は当時の様子をスケッチしたもの。原版は既になく、残っていたコピーをスマホ撮影しました。

この絵の人物が「伊勢松」と「せい」なのか、今となっては分かりません。

ともあれ、亀井鮨はとても繁盛していきました。

伊勢松を次いだ二代目「定司 さだじ」(アタシの祖父)の時代はまさに「飛ぶ鳥をも落とす」勢いだったそうです。

定司の弟「鋼三」も同じ道に入り、全国鮨商組合の会長にまで上りつめています。

下は当時の新聞のスクラップ。

たびたび取り上げていただいたようですが第二次大戦の空襲で殆ど残っていません。

それでも亀井鮨は庶民の店だった

繁盛店、有名店への道をひた走る亀井鮨でしたが

屋台から始まったことからも分かるように、決して高級路線の店ではありませんでした。

ただし商っているものが鮨ですからそこは少々値の張る食べ物だったようで

当時の思い出を先代(アタシの父)は

「庶民の食べ物ったって今の立ち食い蕎麦みたいに誰でも食べられるもんじゃぁなかった」

「うちは屋台で始まったけど安さで売ってたわけじゃぁないよ。今から見りゃそりゃ安かったけど当時としてはそれなりの勘定だったんだ。」

と生前よく話していました。

庶民の店、というと「安くてボリュームがあって」という現代風な受け取り方をされがちだけど

こと鮨に関しては昔から「すごく人気だけど安くはない」ものだったようですね。

100年前の亀井鮨の鮨とは

気取って食べるものではないけど、多少の余裕がないと手がでない。

それでも誰もが食べたくて仕方がない鮨。

当時の亀井鮨の鮨はそんな存在だったのですね。

それって鮨武・・・。

伊勢松が亀井鮨を起こしてから134年。

鮨を取り巻く環境は大きく変わりました。

スーパーや回転寿司、宅配専門店に銀座の超高級店。

伊勢松がみたらビックリするでしょうねぇ。

でもね、今でもとてもよく分かるんです。

「気取らず身構えず、しっかりと旨いものを、ありのままに売りなさい。」

と伊勢松さんや定司爺さんや父幸正に言われてるのを。

「それが本当の庶民の鮨ってもんだ」と。

「きちんと旨い」が先ずあって、その中で頑張って「価格を抑える」のであって

価格を言い訳に旨くないモノを売ってはいけない。

これってまさに鮨武であり亀井鮨のこころなんです。

そしてもう一つ。

「皆は一体いつ寝てるのだらう」

と定司少年に言わしめた、百年前の人々の商売や仕事に対する姿勢。

今の時代に逆行してると笑われても

私のど真ん中に、脈々と流れているのを感じます。

「額に汗して懸命に働いてのち、少しの商いの利を得よ」

定司の言葉

明日も河岸に。ご先祖に感謝。

夕景になると此の屋台を押して車道と人道の境に組み立てる。家から米や魚や炭、用水等を運び炭火をおこして商売が出来るまでに約一時間位は掛る。其頃お客様が行列を作って立喰いと共に竹皮づつみの御土産が良く売れた。

定司

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