恩人 鶴岡一人先生

久しぶりにお会いしました。
東京ドームで都市対抗野球を見た帰りに寄った野球殿堂博物館。
そのプレートを
引退後の解説者の鶴岡さんしか知らない私には、
『元南海ホークス監督』
『関西プロ野球のドン』
鶴岡一人(つるおかかずんど)氏
私がまだかけ出しのころ、よく来ていただいてました。
興が乗ると、上の職人に断った上で、私に干瓢巻を巻かせるのです。
先輩職人の冷たい視線に耐えて巻いたそれを食べながら
ある時は
「ボン、これではゼニはとれやせんで。
またある時は
「ボン、大分えーで。でもまだまだや。
なんて声をかけてくれたものです。
「同じ道具で同じネタを巻いてもな、人によって味が変わるんや。
と、私を野球部出身と知っていて可愛がってくれました。
野球、酒、女、お金。
若い頃の豪快で破茶滅茶な逸話を、
「ボン、野球選手のゼニはな、グランドに落ちとるんや。
そう上機嫌で話してくれました。
あれからおよそ20年、
人もまばらな、閉館間近の地下展示場で
おそらく今の私より若い、鶴岡一人氏が静かにこちらを見てい
当時は畏れ多くて見ることができなかったその目を
今はまっすぐに見返します。
私には聞こえます。
「やっと来よったか、ボン。おまはんの鮨はな、まだまだやで。」
親分、ありがとうございます。
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