国産本鮪の聖地 大間にバイクで行ってきました⑤

三日目 気仙沼から南三陸町、閖上港を経て東京へ
気仙沼の港を見学に
三日目も朝5時に起きて活動開始です。
この辺の感覚と体力が佐々木くんと私でよく合うわけです。
2人とも5時の目覚ましと同時にバン!と起きてまずは風呂へ。
戻ったらさっさと荷造りして出発です。
下の動画は風呂上りに気仙沼港の方角を撮ったもの。
こうしてみると、まだまだ空地が目立つし護岸工事も終わってないようです。
「5年経つけどまだまだなんだね」
なんて話していました。
ところが、気仙沼の復興は、他の被災地からみると
もの凄く先を行っていることを
このあと気付かされることになりました。
駐車場で一瞬立ちすくんだ
ホテルをチェックアウト、荷物をバイクに積み込んでいた時です。
ふと顔を上げて目に入った風景がこれ
最初はよく理解できませんでした。
拡大したものがこれ
できればもう一度、引いた画像を見てみてください。
瓦礫や土砂を巻き込んで水があの高さまで来た。
しかも徐々にではなく一気に。
一瞬、その場に立ちすくんで動けなくなりました。
この場にいた人たち、どれほど怖かったことか。
今さらながら言葉を失う思いでした。
亡くなられた方に、合掌。
気仙沼港はカツオの水揚げの真っ盛りだった
気仙沼の港では大型の漁船が何杯も横付けされ今が盛りのカツオが次々に水揚げされていました。
カツオって船から上げるときはバケツリレーで上げるんですね、知らなかった。
でも港のすぐ目の前にまだこのような建物があるんです。
作業の邪魔になってもいけないのでサッと見学したら朝ご飯済ませて出発です。
今日は東日本大震災の被災地に沿って仙台まで南下。
名取市の閖上(ゆりあげ)港で赤貝の水揚げの様子を視察して帰る予定です。
全行程で550㎞。気合入れていきましょう。
気仙沼はまだいい方なんだと気づかされることに
気仙沼を出発したのが7時
国道45号線を太平洋側に沿って走りました。
目につくのは造成したての更地。
海沿いといっても多少アップダウンがあり、高い土地は昔ながらの家屋が建っているものの
川沿いなどの低い土地は道路右手のはるか内陸方面まで更地になっていました。
途中楽しみにしていた「ふかひれソフト」と「ホヤおにぎり」はまだ開店時間前、残念;
次に止まった伊里前(いさとまえ)の漁港では仮設の商店街ができていました。
こちらで食料品店をしている方に聞いた話しによると
港前に、高さ10mくらいの防波堤を作る計画が進んでいとのこと。
確かに、東日本大震災のような津波がまた襲ってくるとしたら
(いつかは分からないけど必ずまた来るのでしょう)
それを防ぐ規模の防波堤をつくる根拠もあるでしょう。
でも、沖が全く見えない海、壁に囲まれて波がない海、ってどうなんだろう。
観光客が、地元の方の感覚を無視して「景観を壊すな」なんて
ましてこの被災地で言えるはずもない。
でもこの商店主の方も、防波堤をもろ手を上げて歓迎しているわけではありませんでした。
なにかいい方法ってないんですかね。
まさか
まさかとは思うけど、この計画を勝ち取りたいゼネコンから
関係者にカネが流れたりしてないよね・・。
なんだかなぁ、とちょっと暗澹とした気分で再スタート。
すると通学途中の女子中学生の3人組が手を振ってくれる。
2人同時に万力こめて手を降り返し
「朗らかでいいな。」なんて気分が瞬時に明るくなったけど
実は道路反対側にいるお友達に手を振っていたのだと気づき
一気に暗い気持ちに逆戻り。
おまけにその手で反射的にストレッチしてるマネした自分に気分は日没寸前のうす暗さへ。
南三陸さんさん商店街
伊里前から30分ほどで「南三陸さんさん商店街」につきます。
志津川湾から少し内陸に入ったところにある仮設の商店施設です。
先述の伊里前商店街もこちらも南三陸町にあります。
南三陸町は世界で初めてイースター島からモアイをプレゼントされた町です。
1960年のチリ大地震で起きた津波がはるか太平洋を越えて三陸を襲い
甚大な被害がでたことをきっかけに二つの町は友好関係を育んできました。
詳しくはこちら→南三陸町観光協会ホームページ
モアイとはイースター島の言葉で「未来に生きる」という意味なんだそうです。
この地にピッタリの言葉です。
というわけでモアイソフトクリーム、いただきます。
全体に写真が少ないのはパシャパシャと写真を撮るのがためらわれたから。
皆さんとても元気で、悲壮感などは感じないのですが
やっぱり興味本位で(と受け取られるので)気軽にカメラを向けることはできませんでした。
その代りお土産いっぱい買いました。
閖上(ゆりあげ)へ
志津川からは三陸自動車道にのり、北上川に沿って石巻湾をかすめ名取まで一気に移動しました。
広々とした景色と心地よい風で絶好のツーリング日和。
気持ちのいい景色に出会うたびに
前を走る佐々木くんがガッツポーズしてます。
私もサムアップでお返し。
1時間半ほどの快適ツーリングで宮城県名取市の閖上港に到着しました。
閖上は復興どころか瓦礫が撤去されただけで止まっている?
閖上の赤貝は築地でも一目置かれています。
肉厚で味がよくコリコリとした食感や香りも素晴らしいです。
その産地をこの目で見ることをとても楽しみにしてきました。
さぞ活況を呈しているだろうと。。
でも現地では復興への厳しさを物語る、少々ショックな景色が広がっていました。
↑港前の一等地、が一面の荒地。気仙沼とは比べようもない。
桟橋こそきれいに整備されているものの…。
「まだまだ水揚げは少ない」とのこと。完全復活への道は険しい。
気仙沼が「まだまだ」なら閖上はなんと言えばいいのか。。
関係者が頑張っていることは勿論承知してはいるし、水揚高の違いも分かってるけどね。
下はネットで見つけた震災前の閖上の航空写真と今のグーグルマップの写真の比較
左の写真には建物が密集していますが、現在の写真はただ緑の土地があるだけ。
いや、道路のマス目ができただけでも凄い前進なのでしょう多分。
あれから5年、5年たってやっとこの状況なんですね。
閖上の赤貝、完全復活を、それもなるべく早く、祈ってます。
エピローグ
この後「閖上の赤貝が食べられる」と聞いて行ってみた「閖上さいかい市場」は水曜日で見事に定休日。
腹ペコで立ち寄った地元で評判の回転寿司は期待が大きかっただけに二人とも無言に(笑)
(そりゃそうだよね、大間~気仙沼~閖上とリレーしてきたもんだから合格ラインがインフレ状態)
さあ後は気を取り直して帰るだけです。
そうそう、今日はずっと宮城県を南下してきたけど
「宮城には美人が多い」
という私の意見に佐々木くんも瞬間的に賛成していました。
仙台南インターから東北道に乗り一路東京へ。
100㎞で休憩はもういちいち確認しなくても承知済み。
300㎞先の蓮田SAに17:30に到着、ここで解散です。
本当に濃い3日間でした。蓮田SAが近づいてくると
「終わっちゃう」
「ああ、終わっちゃう」
と半べそかきながら運転してました。
蓮田では最後のコーヒー休憩です。
この充実感は多分バイクだから得られると思うのです。
バイクはアウトドアスポーツです。
雨や冷えに備えて装備し工夫して安全に移動していく。
今回もカッパや靴が貧弱だったらおそらく途中でスケジュール変更かリタイヤしていたでしょう。
他愛のないことかもしれないけど、天候変化に順応して体調を保ち
素晴らしい景色や人に会って安全に帰ってくる。
今回も一生忘れえない出会いや感動が沢山ありました。
家にたどり着き家族にお土産を渡し
念願の大間往復ツーリングを完走したのでした。
出発時 39219㎞
全走行距離は1782㎞
人、バイクともにトラブルなし!元気元気!!
と、思ったら翌日とその次の日
身体重い重い
若くねーなぁ。
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