恥とは何なのか「電車内のお化粧」について

日本人は伝統的に「個人」よりも

「和」「義理」「礼儀作法」などを大切にしてきました。

コミュニティを円滑に運営するのに必要なものとされてきたわけです。

個人より社会を大切にする、ある意味「日本的な」価値観といえるかもしれません。

自己表現がはっきりしていることが重要とされる諸外国の価値観との大きな違いです。

恥の感覚を共有して社会が成り立ってきた

なので、我々日本人は

自分や他人が、社会の他の人と違う言動をしたり

調和を乱す行いをすることは「恥ずかしいこと」とし忌避してきたわけです。

親が子供を育てるときも

事あるごとに「世間様に恥ずかしくない」ことを口に乗せて躾てきたのです。

人々は昔からそれぞれの立ち位置で「恥ずかしくないか」を自問し反省し

言動を考え、あるいは慎み、時として人生の分かれ道での指標としてきたのでしょう。

「日本人として」

「大人として」

「社会人として」

「プロの鮨職人として」

そして今は消えつつある

「男として」。。。

恥ずかしくないか、と考えながら生きてきたし

「恥ずかしくない」ことは翻って社会からの信頼や尊敬の基盤でもあったのです。

「恥ずかしい」が失われつつある

「それはあなたの意見でしょ」

を口癖のように言う有名人がいます。

彼は恐らくご自分を異端児と認識されてるし

我々もどこかでそう見ているのでアレはあれで良いのだと思います。

それが売りなんだし、彼の売り上げを支えているのでしょう。

でも世の中のみんながそう口に出し始めるのは賛成しかねます。

若い女性が電車の中でメイクのフルコースを実施しているのを見て

「どーーなのよ?」

と思うのは

『自分だったら恥ずかしいと思う行為』が

『この人にはその感覚がないんだな』

となり

異質なモノへの警戒感と嫌悪感で

「どーーなのよ?」と眉をしかめるんです。

なのでルールやマナーの観点で話しても解決しない。

「そんなルールどこに書いてある?」

「見ていて不快ってそれはあなたの意見でしょ」

でお終いなわけ。

本人が恥ずかしいと思ってないんだもんムリだって。

「恥ずかしい」を大切にしたい

結局、家庭での躾が基本になってくるのだと思うわけです。

物心つく前に、出来るだけ早い年齢で教え込んでおきたいものです。

大人になって恥の感覚がない人に何か言っても多分通じない。

「警察のお世話にならなければ何をやってもいい」

と子育て世代の親御さんが口にされるのをたまに聞きます。

元気なお子さんを伸び伸び育てるイメージですね

でも小さなお子さんは、無限の可能性をもつ、真っさらな存在です

せっかくなら

もう少し高いレベルを求めてもよろしいのではないかとも思います

「誰の前に出ても恥ずかしくない、立派な人間になれ」と。

そうやって大人になった人は例えば

せっかく社会的に、常識的に真っ当な話しをしてもらってるのに

「それはあなたの意見ですよね」

なんて

ひん曲がった恥ずかしい言葉は口にできなくなるし

若さ故によもやそう口走ってしまっても

人格のベースに恥の概念があれば

「さっきのオレの言葉は恥ずかしかったな」

と勝手に成長していってくれるってもんです。

個人の自由や、多様性はもちろん認めるけど

日本人がずっと持ってきた

「恥」の概念は持ち続けていきたいなと思うわけです。

・・・。

と、まぁここまで書いてきてわが身を省みると

やっぱり恥ずかしいことこの上ない。

よく恥も外聞もなく偉そうに言えたもんだ自分。

すみません、反省します(真っ赤💦)